「小さな」に込められた意味
まず紹介したいのは、山内志朗さんの『小さな倫理学入門』である。この「小さな」という言葉には複数の含意があるように思われる。書店に行き、手に取ってもらえばすぐに分かるが、この本は100ページたらずの小品である。その意味で小さい。しかし、それだけに留まらず、この「小さな」という形容詞には重要な含みがある。
それは「大きな」倫理学へのアンチテーゼである、ということだ。大きな倫理学とは、この本の中ではアリストテレスの倫理学と同値であり、筆者によれば、それは、「偶然性を統御し、乗り越えていく」(35-36)ものである。そこには、「強固な主体性」が想定されている。しかし、筆者はそうではないだろうと考えている。そのような人間観はあまりに一面的だろうと。
この本の中で白眉なのは、「倫理学は笑う学問なのでしょうか」(75)という問いである。大きな倫理学からすると、この問いは不謹慎な問いなのかもしれない。しかし、筆者からすると、倫理学は笑うのである。さて、その笑いはいかなる笑いなのであろうか。その答えは用意されていない。考えるのは私たち自身だ。しかし、この著作にはそのヒントがたくさん隠されている。
- 著者
- 山内 志朗
- 出版日
- 2015-10-15
強さは快楽すら遠ざける?
小児科医、熊谷晋一郎さんと様々な分野の研究者との対談を収めた対談集。熊谷さんは「小児マヒ」という病を抱え、それに伴う「痛み」について考察を深めてこられた方である。この本で際立つのは、自身の経験を言葉へと翻案する彼の明晰さであろう。そこには「強さとは違う仕方」で考えることの快楽がある。
「痛み」について様々な観点から論じられているが、特に興味深いのは痛みの二重性とでも表現できるものだ。それは、痛みと快楽が同じコインの裏表であるという仮説と言い換えることができる。痛みか快楽か、それを分かつのは、熊谷さんによれば「予測誤差」である。つまり、自分の想定とは違う何かを感じ取ったときに人は快楽を感じるということだ。
1冊目の本の内容を考慮すると、アリストテレスの倫理学はそのような予測不可能性を排除しようとする知の体系と捉えることもできるかもしれない。ということは、即ち、それは快楽を排除していこうとする倫理学とみなすこともできるのではないか。とすれば、強くあるということは、快楽から遠ざかるということなのかもしれない。それでも私たちは強さを求め続けることを選ぶだろうか?
- 著者
- ["熊谷晋一郎", "大澤真幸", "上野千鶴子", "鷲田清一", "信田さよ子"]
- 出版日
- 2013-10-24
「弱さ」とはなにか?
最後は、〈弱さ〉に寄り添う人たちへの聞き取りをまとめた著作を紹介したい。この著作の登場人物達は、それぞれが何かしらの〈弱さ〉を抱えた人々の傍らに居続けることを選択した人々である。
老い、病、障害、子ども、その弱さは多種多様だ。しかし、その傍らにいる人々には共通点がある。それは、「受動性」とでも呼ぶべき何かである。強くあること、それを「支配すること」と捉えるならば、この人たちはそれからは程遠い人たちだ。しかし、彼らは〈強い〉のである。能動的な強さとは違う、「受動的な強さ」というものが存在することを、この本は、静かに語りかけてくれる。
- 著者
- 鷲田 清一
- 出版日
- 2014-11-11