アインシュタインといえば、相対性理論を提唱したことで現代物理学の父と呼ばれている物理学者です。舌を出した写真が有名ですが、実際にはどのような人物だったのかはあまり知られていません。ここでは彼の人となりを知るための5冊をご紹介いたします。

1:発達障害だったと言われている
5歳頃までの彼は、ほとんど口を利かない無口な子供だったと伝えられています。まれに話すことがあっても声を発する前に、必ず口の中でモゴモゴと小声で呟いたり、予め頭の中で話ストーリーを整理したり、使う言葉を選んだりしてから話し始めるという独特の癖があったようです。
そんな仕草を訝った両親や周囲の人たちは、この子は「自閉症では?」とか「知恵遅れでは?」などと心配したそうです。因みに、幼少期に口を利かない症状が顕れることを沈黙期と呼ばれていますが、時としてアインシュタイン症候群と呼ばれることもあります。
2:モーツァルトを生涯愛し続けた
彼は、6歳頃にヴァイオリンを習い始めていますが、すぐにモーツァルトの楽曲が気に入って生涯に渡って親しんだといわれています。物理学者としての名声を築いてからも、旅に出る時は必ずといっていいほどヴァイオリンを携帯したといわれていて、彼の人生にとって音楽は一番の癒しの源泉だと語っていたそうです。
ちなみに、彼は1955年4月18日に76歳で生涯を閉じていますが、彼が亡くなった8ヶ月後に偲んで開催されたコンサートにおいて演奏された楽曲は、モーツァルトのピアノ協奏曲第26番などでした。
3:止む事なき不倫症だった
彼がチューリッヒ連邦工科大学に入学したのは、1896年のことでした。実は、後年になって彼が残した手紙から、1902年大学の学友だったミレーヴァ・マリッチとの間に私生児を設けたことが明かされています。この私生児(女児:リーゼル・マリッチ)は、生まれて間もなく養子に出されましたが、直ぐに病気で亡くなりました。
ちなみに、その翌年の1903年にミレーヴァと結婚しましたが、諍いが絶えることなく1919年に離婚しています。しかし、その僅か4ヶ月後、彼は従妹のエルザ・ローウェンタールと再婚しています。
さらに、エルザと再婚した当時には、既に6人の女性と付き合っていたことが明らかになっているのです。ただ、それだけでは収まらず、彼の日記にはそれら以外にも、贈り物をしていた複数名の女性らしきイニシャルが記されています。その上、アメリカに移住した際に帯同したヘレン・デュカスという私設秘書は、妻のエルザが亡くなった以降は事実上妻の役割を果たし、病床で彼の死を看取ったとされています。
4:長男とは深い確執があった
彼がミレーヴァと離婚した直後から、長男ハンスとの諍いが激しくなっていきました。その原因は、父に対する嫌悪感だったといわれています。具体的には、父親の不倫関係の所為で母を捨ててしまったこと、ハンスの結婚相手(フリーダ・クネヒト)の容貌について人前を憚ることなく侮辱すること等にまつわるものでした。
そんな諍いにも関わらず、ハンスはフリーダとの結婚を実現させますが、それでもアインシュタインはハンスに対して、離婚が難しくなるから「子どもだけはつくるな!」と言いつけたそうです。その後、ハンスはアメリカに渡りカリフォルニア大学バークレー校の教授としての職を得ました。その際、当然のことながら父親の威光を一切頼ることなく、実力でその地位を掴み取った訳ですが、ハンスに分け与えられた遺産は微々たるものだったそうです。
5:ルーズベルト大統領に手紙で原爆製造の直訴をした
彼はアメリカに移住し1935年に永住権、1940年に国籍を取得しています。その当時、ナチス・ドイツの急速な台頭を恐れたユダヤ系の物理学者の友人が、しきりにアインシュタインを訪ね、ルーズベルト大統領に書簡を出すように助言していました。その書簡の内容を要約すると、ナチスが原爆の開発を急いているとの情報があるので、アメリカも原爆の開発を着手すべきというものです。
彼は迷いに迷った挙句、友人が認めた書簡に署名し大統領に送付しました。その後、ルーズベルトの下でマンハッタン計画が開始され、広島と長崎に原爆が投下され第2次世界大戦が終結しました。ただ、ルーズベルトがマンハッタン計画の推進を決断した1番の理由は、アインシュタインの進言ではなく「旧日本軍の真珠湾攻撃が後押しとなった」ことが戦後になって検証されています。
6:行方不明になったブレイン
彼の遺言書に、「脳に触れずそのまま火葬を希望する」と記されていました。しかし、家族の許可もなしに彼が亡くなった翌朝には遺体から脳が切り取られ、事もあろうに40年間にわたり研究試料として使われ続けたそうです。
彼の脳を切り出した張本人は、プリンストン大学のトーマス・ハーベイという病理学者でしたが、家に持ち帰った脳を返還するように通告を受けたが拒否したため、大学を追放されたということです。ただ、後にアインシュタインの長男ハンスから脳の研究許可を得たハーベイは、世界中の科学者に脳のスライスを提供したそうです。
たとえば、自身の提唱した相対性理論について。
- 著者
- 出版日
- 1997-03-31
彼は第一次世界大戦以降、戦争に反対する意見を多く述べてきました。それは科学が人の命を奪う兵器となることに憤りを感じていたからにほかなりません。しかし、第二次世界大戦時には、アメリカ大統領ルーズヴェルトに対し、原子力が武器になりうることを示す手紙に署名。そのこと深く後悔したであろうことが、平和を訴える言葉の端々から伝わってきます。
- 著者
- アルバート アインシュタイン
- 出版日
- 2006-03-31
自身が研究していた科学分野の内容では、より専門的な言葉が登場。彼が生きた時代に大規模な戦争が起こっていたこともあり、戦時下の科学者の役割、心の持ち方についても言及しています。科学の持っている力を知っているからこそ、科学者は倫理的であらねばならない——アインシュタインの確固たる信念がうかがえます。
- 著者
- アン ルーニー
- 出版日
- 2009-05-27
彼は、科学技術の発達が人間の安全を脅かしていると提唱します。たしかに科学が発達することによって、人の命を一瞬にして奪ってしまう兵器が多く開発されました。科学は扱う人によって、良い方にも悪い方にも傾きいてしまうのでしょう。本作では科学に対する無条件の信頼に警鐘を鳴らし、世界が平和であるために科学はどうあるべきなのかが述べらていきます。
- 著者
- アルバート アインシュタイン
- 出版日
ふたりは実際の国を例に挙げての議論ではなく、あくまでも戦争が発生してしまう状況での人の心のメカニズムといった、自身の専門分野に関連する形で意見を交わしています。人の心に問題があるのでは、とするアインシュタインに対し、平和への手段としての戦争はやむをえないと一見肯定的な意見を見せるフロイト。知の巨人たる両者の静かながら熱の入ったやり取りが展開されます。
- 著者
- ["アルバート アインシュタイン", "ジグムント フロイト"]
- 出版日
- 2016-06-11
彼は相対性理論などで有名ですが、世界平和に尽力しユーモアにあふれた人物でもありました。稀代の科学者がどのように考え、生きたのか——。その人となりを知ることで、彼や世界への見方が少し変わるかもしれませんね。