第二次大戦下のリトアニアで、ナチスから迫害を受けたユダヤ人らの避難民に、外務省の訓令を破ってまでもビザを発給し、約6,000人もの人命を救った杉原千畝。今回は「東洋のシンドラー」ともいわれる彼の偉業をもっと知るための本を5冊、ご紹介します。

1:岩井千畝だったかもしれなかった
彼の父親の三五郎はもともとの岩井姓から杉原姓に変えています。 日清戦争のとき結核を患いますが、杉原姓の将校に親切な手当てを受けました。 感激した三五郎は帰国後、当時珍しいことではありませんが、杉原姓に改名しています。 郷里の八百津は岩井姓が多かったので、杉原のほうが確実に郵便物が届いたとのことです。
2:満州での洪水、杉原は被災者を見捨てなかった
杉原がハルピンにいた頃、満州で洪水が起こりました。 中国人住民に多大な被害を及ぼす洪水でしたが、杉原は臆せず被害調査に向かいます。 洪水の犠牲者のもとへ出向いた杉原は激励を与え、元気付けたといいます。
3:スポーツマンだった
杉原はハルピンにいた頃、勉強ばかりではなくスポーツも楽しんでいたといいます。 特に野球に熱中しており、ハルピン学院の「オーロラ」というチームに入っていました。 しかし、ハルピンは寒冷地であり、彼がハルピンに来たときはオフシーズンでした。 代わりにアイスホッケーも嗜みましたが、野球をするには一冬待つことになりました。
4:一歩先へ行く男 であった
1920年代、杉原は志村という友人と上司のハルピン領事の3人で吉原に繰り出しました。 気に入った娘を決め、さあ快楽のひと時となるはずが、3人とも同じ娘に惹かれていたのです。 結果、身分の高い領事がその娘と夜を過ごし、志村は家に帰り、悶々としていました。 明日こそはと同じ店に行くと、同じ考えだった杉原が彼よりも先に店にいたそうです。 志村は「杉原と言う男は、いつも一歩前を行っていた」と述懐しています。
5:ロシア人女性との結婚
杉原はクラウディアというロシア人女性と結婚していました。彼女は 杉原の洗礼名である「セルゲイ」と呼び、2人は愛し合っていました。 しかし、彼女は子供を求めておらず、求めていた杉原を離縁する形で後に離婚します。 ですが彼女は後に「今は後悔しています」と彼との日々を惜しんでいます。
6:流暢なロシア語、友人の耳をも惑わす
杉原はマルチリンガルであり、特にロシア語に精通していました。 杉原の友人、笠井唯計(ただかず)は彼のロシア語の流暢さが印象に残っているといいます。 ロシア人が激論を交わしているからそちらに近づくと、一方は杉原だったそう。 「彼はロシア人とうまくやってゆくセンスを持っていた」と笠井は語っています。
7:妻、幸子に向けた紳士的なプロポーズ
1936年に杉原は菊池幸子という人と彼女の兄づてに出会い、再婚しています。 杉原を「思いつきの質問にまじめに答えてくれる人」と幸子は語っています。 杉原が結婚したい旨を伝えると「なぜ、私と結婚したいのですか」と幸子が聞くと、彼は「貴方なら外国に連れて行っても恥ずかしくないから」と即答したそうです。
8:運転を覚えた杉原、運転手を困惑させる
杉原は38歳の時、自動車学校の校長だった運転手に車の運転を教わります。 免許を取った数日後、運転手が幸子に「車が盗まれた」と焦って報告に来ました。 少し経つと公使館に車が入り、幸子が外に出てみると車から出てきたのは杉原でした。 運転手がいるときは静かにしていた杉原は、自分で運転できて満足そうだったといいます。
9:思い出の地、カウナス
1939年にカウナス(リトアニア)に移り、後に「思い出がいっぱいだった」と回想します。 それは後に語られる輝かしい功績ではなく、早世してしまった息子の出生地としてでした。 杉原は、息子の誕生の際の混沌が、結果的に死に追いやったと考えていたそうです。 「戦後、私は過去を忘れようと務めた」と、杉原は言っています。
10:今までの才能を「NHK」で発揮
1950年代、杉原は家族を養うため、臨時の仕事に多数就いたといいます。 50年代後半、彼はNHKラジオ放送にて、ソ連のニュースを傍受・翻訳する仕事に就きます。 当時の同僚は彼を父親あるいは教師のような人であったと懐古しています。
筆者の言葉を借りれば「従来のフィーマニストとしての杉原千畝像を壊すことではなく、他の面から杉原を描く、具体的にはインテリジェンス・オフィサーとしての杉原千畝を描くことであった」(本書より引用)が本書の目的です。
杉原は若い時から語学に優れ、外交官として稀に見る優秀な人物だったようです。特にロシアについては相当の博識を持ち、最初の結婚はロシア人とだったとは、当時の歴史を考えると驚きの事実でした。その後、スパイ容疑がかけられ離婚することになりますが、この時代に国際結婚をする杉原の人間としての大きさが感じられます。
- 著者
- 白石 仁章
- 出版日
- 2015-09-27
ナチスドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人たちは、ソ連のリトアニアへの侵攻により更に逃亡を余儀なくされます。しかし、日本を含め各国はドイツとの政治的配慮により、避難民を受け入れることはしません。命の危機に直面し日本領事館前にビザの発給を希望して人々が押し寄せます。その中には寒さに震えながら不安そうに見つめる子どもたちなどもいます。本書では克明にこれらのことが記録されていて、自伝を通して現実を知ることができます。
- 著者
- 杉原 幸子
- 出版日
ドイツ、ソ連かから迫害を受けていたユダヤ人たちは、リトアニアで杉原千畝の人道的英断により日本経由のビザを発給され、約6,000人ともいわれる人々が日本に逃げてきます。しかし経由国ビザであることから、滞在期間も定められており、他の安全な国へ渡航するにも金銭的に難しく、更に日本へもナチスドイツの手が伸びてきて国外退去を迫られます。
- 著者
- 山田 純大
- 出版日
- 2013-04-23
杉原により助けられ日本へ逃げてきた少年が主人公で、この時知り合った仲間たちと、後年経済的シンジケートを作り出していきます。それに気づき正体を追うイギリス諜報部員との情報合戦が本作の見どころです。
- 著者
- 手嶋 龍一
- 出版日
- 2012-07-28
当時、世界連盟から脱退した日本は、ヨーロッパの諸事情を知るために諜報活動を活発化させます。その前線で活躍した優秀な諜報員が杉原千畝であり、ドイツに占領され国を追われたポーランド地下組織との交流が大きな役割だったとしています。戦時中の混沌とした時代に情報を得るために外交官として赴任する杉原の活躍は、決して表舞台には出せないものなのだろうと推測されます。
- 著者
- 白石 仁章
- 出版日
杉原千畝が命を救うために発給したビザは、約2,000枚以上とされています。その子孫は3万6千人ともいわれ、命のリレーがもたらした功績は世界規模で賛美されています。我々は、この功績をもっと知らなくてはいけないものではないでしょうか。