初代総理大臣、伊藤博文という名は、教科書やテレビなどでたびたび目にするもの。ではこの人物が具体的に何をしたのか、そしてどんな人物だったのかを知っていますか?今回は偉大なる政治家、伊藤博文について知れる、おすすめの本をご紹介します。

1:最初の姓は「林」だった
伊藤博文は幼名を「利助」と言い、1841年に周防国(現在の山口県)の農家に、父・林十蔵、母・琴子の長男として生まれました。貧しさから家は破産してしまい、14歳の頃長州藩の下級武士伊藤家に親子養子として入ります。 ここで博文は伊藤姓と、下級ではあっても武士の身分を手に入れました。
2:やんちゃだけど、卑怯ではなかった
かなりのやんちゃ坊主だった伊藤ですが、取るべき責任はしっかり取りました。神社の山車を勝手に引っ張り出して村の庄屋に見つかった時、他の子が逃げ出した後に残って謝ったのが伊藤でした。
3:小さいころから頭が良かった
12歳のころ萩松本村(萩市椿東)久保五郎左衛門の久保塾に入門、80人の塾生の中から選ばれて番頭(ばんがしら)となりました。成績が5番以内の者が成れるのが番頭で、褒美も貰えたそうです。 また字もうまく、塾での書道展でもいつも優等の褒美を獲得しました。
1:英国留学の船旅で、水夫として働かされた
1863年、長州藩イギリス留学生として同僚4人と共に横浜港を密かに出港しました。しかし渡航目的を聞かれた同僚の井上が、ネイヴィー(海軍学)と言うべきところを、ネビゲーション(航海術)と答えたために、以後彼らは船員まがいの仕事をさせられる羽目になります。
特に伊藤と井上は水夫同様に扱われ、酷い目にあったそうです。
2:あだなは「ほうき」だった
伊藤は無類の女好きとして知られ、生涯女性との噂が絶えませんでした。女性を掃いては捨て掃いては捨てを繰り返したので、付いたあだ名が「ほうき」だったとか。 しかし、権力者の伊藤に面と向かってそれを注意できる人はいません。唯一叱ったのが明治天皇で、「少し謹んではどうか」と言われたそうです。それでも伊藤の女癖は生涯治りませんでした。
3:フグが食べられるのは、伊藤博文のおかげだった
古来毒魚として、時の為政者は食すことを禁じられていたフグですが、伊藤が下関の春帆楼で開かれた日清戦争講和会議に出席した時に、関係者一同に供されました。 その味を大いに気に入った伊藤は、山口県と福岡県に限って河豚料理を許可し。戦後は全国の食卓に広まりました。
4:勘違いで暗殺された?
伊藤は、1909年ハルビン駅で韓国人の安重根に射殺されましたが、その理由は日本による韓国支配を阻止しようとするもの、とされています。 しかし伊藤は、韓国併合には反対していたのです。大韓帝国の独立を目指していた安重根にとって、伊藤は生かしておけぬ者だったのでしょうか。
- 著者
- 童門 冬二
- 出版日
- 著者
- 瀧井 一博
- 出版日
- 著者
- 出版日
- 2010-04-07
- 著者
- 伊藤 之雄
- 出版日
- 2015-03-11
- 著者
- 瀧井 一博
- 出版日
- 2013-06-18