大塩平八郎という名前を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか?歴史の教科書にも出てくる偉人です。小説の題材にもなっています。彼を知ることによって江戸時代後期を詳しくわかるようになり、さらにその生き方は人生の教訓にもなります。

大塩が亡くなったのは1837年。決して長生きだったとは言えませんが、濃い人生だったのでしょう。
1:祖先は徳川家の主筋の一族だった
彼の祖先は、室町時代から戦国時代に隆盛を誇った今川氏の一族でした。当時徳川家は今川氏に従っていたので、主筋の一族に当たります。今川氏が滅亡してからは徳川家に仕え、現在の愛知県に本拠を置く御三家の1つ、尾張徳川家に奉公した後、大阪へと移り住みました。
2:身長は160cm前後と想定される
彼の身長が2mを超えていた、という憶測もあるようですが、石崎東国著の『大塩平八郎伝』の中に「身の丈五尺五六寸」と記してあります。1尺は約30cmですので、身長はおよそ160cmだったと推定できます。
3:とてつもなく早起きだった
彼の朝は早く、毎朝午前2時に起きてその日の気象を確認し、弟子たちを呼び出して講義をしていました。
4:うつ病になって自殺も考えた
1828年に行われた王陽明の300年祭の祭文のなかで、「心肺の疚」にあって「死なんと欲すること再三」とあり、さらに育ての親が1828年前後に相次いで亡くなったことが記されています。
「心肺の疚」とは「心の病」のこと。病気の苦しみと育ての親の死によって、再三に渡って死にたいと思っていたのでしょう。
5:禁書になった著書が後の時代のロングセラー本となった
彼が書いた『洗心洞箚記』は明治時代に入りロングセラー本となり、多くの人々に読み継がれてきました。陽明学のあり方や思想、理想像などを読書録という形式で説いています。
大塩が起こした乱の後に禁書となりましたが、それでも所蔵した薩摩藩の西郷隆盛や、江戸幕末の長州藩藩士の吉田松陰なども高く評価し、三島由紀夫も彼の行動哲学に共感していました。
6: 彼が挙兵失敗後40日間生き延びたのは、幕府を変えるためだった
彼は乱の前に、当時の幕府中枢の汚職を訴えた手紙を水戸藩藩主徳川斉昭などに送っていました。その後乱自体はすぐに鎮圧されてしまいましたが、彼は養子の格之助とともに逃亡し、隠れ家に潜伏します。
結局その手紙は黙殺されてしまいますが、彼がすぐに自決しなかったのは、その手紙が明るみとなり幕府の改革がなされることを期待した可能性があると言えるでしょう。
7:町を焼かれた住民たちは、大塩捕縛の賞金を断っていた
大塩平八郎の乱によって、大阪の町も大きな被害を受けました。乱の後、彼を捕まえた者には銀100枚を与えるというお触れが出されましたが、自分たちも被害を受けていたはずの民衆は「銀100枚が1000枚になっても訴えるものか」と言って彼を庇う姿勢を見せています。
8:大塩親子の墓よりも民衆の碑の方が5倍近く大きい
彼の墓は、江戸時代は建てることが禁止され、明治に入ってから建立されました。その後戦争中に空襲などで破壊されたものの1957年に復元されます。しかし「大塩の乱に殉じた人々の碑」の方が彼の墓よりも5倍ほど大きく、死後も「民衆のことを最優先で考える人物」と噂されました。
森鴎外は結局、終始批判的な立場をとっていたそうです。森鴎外自身も官僚として人生を送り、権力の中心付近にいました。彼も官僚に近い立場にいた人物。なぜそのような人物が叛旗を翻したのか分からなかったのでしょう。この本は森鴎外の思想も読み取ることができますし、大塩平八郎の乱は本当に正しかったのかどうか説いている小説なのです。
- 著者
- 森 鴎外
- 出版日
- 1940-01-10
そんな矢先に洗心洞の弟子が裏切り、決起予定の前日に奉行のお知らせが入ってしまいます。その結果半日で敗北し、逃亡します。自らが出した幕府への意見書を待ちますが、その前に潜伏先に見つかり、潜伏場所を爆破して、死亡しました。
- 著者
- 松原 誠
- 出版日
下界から見える大満寺山の先に「御山」はありましたが、許されたものしか入ることのできない神聖な山でした。やがて常太郎は医術を学び、島に医者として深く根を下ろしますが、徐々に島の外から重く暗い雲が忍びよっていました。
- 著者
- 飯嶋 和一
- 出版日
- 2015-01-28
宮城公子は、京都大学時代に日本近代史などを専攻していためかなりの情報量ですし、分析もかなり優れたものとなっています。大塩平八郎の研究でも優れた評価を受けています。そのために大塩平八郎の思想を知るには必読書といえるでしょう。
- 著者
- 宮城 公子
- 出版日
そんな彼が残した読書ノートを、著者が現代語訳を試みた作品です。陽明学の理解と大塩の思想も分かります。明治の三傑である西郷隆盛も肌身隠さず読み込んだ本だそうです。西郷隆盛も陽明学を思想のベースとしていました。
- 著者
- 吉田 公平
- 出版日
この5冊の本を読めば、大塩平八郎のことを深く知ることができると思います。この他にも江戸時代後期の他の人物の本や江戸時代後期の勉強などをしてみるのも面白い試みかもしれません。現在の日本では彼のような情熱をともした人物は少ないとでしょう。現在の日本では目標や夢などを忘れているような気もします。こういう時代こそ大塩平八郎を知るという意義はかなりあると思います。