芥川龍之介の言葉で活き活きと描かれる上海
芥川龍之介と言えば、日本を代表する文豪の一人ですが、彼がかつて新聞社で働いていたことを知っている人は少ないのではないでしょうか。芥川は1919年27歳の時に大阪毎日新聞社に入社し、その年に結婚します。入社2年後に、大阪毎日新聞社海外視察員として中国を訪問。その時訪れた上海・江南での出来事を記したのがこの『上海游記・江南游記』です。
- 著者
- 芥川 龍之介
- 出版日
- 2001-10-10
芥川龍之介のシンプルだけど洒落の効いた文章の端々から、彼がどれほどこの旅行を楽しんだかが伝わって来ます。一緒に中国に行ったのは村田君、友住君、そしてジョオンズ君。中国に降り立つと、彼ら4人を我先に客を取ろうとする車屋達が囲みます。やっとのことでそれを切り抜け、馬車に乗った時のことをこんな風に記しています。
「我我はこの車屋の包圍を切り抜けてから、やつと馬車の上の客になつた。が、その馬車も動き出したと思ふと、忽ち馬が無鐡砲に、街角の煉瓦塀と衝突してしまつた。若い支那人の馭者は腹立たしさうに、びしびしと馬を毆りつける。馬は煉瓦塀に鼻をつけた儘、無暗に尻ばかり踊らせている。(中略)どうも上海では死を決しないと、うつかり馬車へも乗れないらしい。」(『上海游記・江南游記』より引用)
仕事仲間と戯けて顔を見合わせて、その顔からもクスクス笑みが溢れている様子が浮かんでくるようです。また、現地の乞食についてもこんな風に記しています。
「乞食と云ふものは、ロマンテイツクそのものである。(中略)新聞紙の反故しか着ていなかつたり、石榴のやうに肉の腐つた膝頭をべろべろ舐めていたり、——要するに少少恐縮する程、ロマンテイツクに出来上つている。」(『上海游記・江南游記』より引用)
見るもの全てが目新しく、体験すること全てが彼を楽しませる。そんな芥川の気持ちの高揚感がシンプルな彼の言葉の良い肉付けになっていて、いくら平然を装っても、仲間達とはしゃいでいる若かりし頃の芥川の笑声が聞こえて来るようです。
この上海・江南旅行の帰国後、芥川龍之介は神経衰弱や腸カタルに悩まされます。そして旅から6年後、田端の自室で服毒自殺により命を断つのです。もしかしたらこの本に描かれている思い出が、苦しかった彼のその後の日々の支えになったのかも知れませんね。
上海の人々との交流を軽快なテンポで描いた作品
1920年代〜1930年代は上海が国際都市へと大きく成長した時期でもあります。世界で流行している新しい文化が西洋から移入され、元々の中国文化と融け合って、独自のオリエンタルな文化を形成していったのです。その頃から上海は「東洋のパリ」と呼ばれるようになりました。
『上海交遊記』の作者は谷崎潤一郎。言わずと知れた日本文学を代表する文豪の一人です。この作品は大正丙寅(1926年)に世に出されました。1926年——まさに上海が国際都市へと成長していく正にその時期を綴った作品なのです。
- 著者
- 谷崎 潤一郎
- 出版日
上海で谷崎潤一郎は、若い芸術家達と交流をします。上海が外の流行をどんどん吸収してその存在感を強固にしていくように、上海の芸術家達も勢いよく海外の洗練された書物や知識などを吸収していたのです。
谷崎潤一郎は「上海へ出掛けて行つて一番愉快だつたことは、彼の地の若い芸術家連との交際であつた。」と述べた上でこんなエピソードを記しています。
上海の若い芸術家達と紹興酒を一升以上呑んでぐでんぐでんに酔っ払った谷崎。テーブルスピーチをして若者達の笑いを誘い、やたら胴上げをされたりします。
日本の文豪を思いっきり胴上げする中国人の若者の勢いが、当時の上海の勢いと重なります。谷崎潤一郎の知られざる一面が垣間見える一冊です。
様々な登場人物がリアルに上海を映し出す
この『上海』は、川端康成と共に新感覚派として活躍した横光利一によって書かれました。横光利一の小説は卓越しているとの定評も多く、志賀直哉とともに「小説の神様」と呼ばれています。
横光が初めて上海を訪れたのは1928年。芥川龍之介の勧めがきっかけだったそうです。そしてその4年後の1932年にこの『上海』を発表しています。
- 著者
- 横光 利一
- 出版日
- 2008-02-15
小説の舞台は上海。10年以上日本に帰らず、上海の銀行で上司の不正への加担を繰り返し、自分を見つけられないまま死ぬ方法を考えている参木。参木がかつて愛した女・競子の兄である甲谷など、様々な登場人物の視点から見た上海を描いています。
上海での人種や文化、価値観や思想は多種多様を極めており、呑み込まれないよう、流されないよう自分の足でしっかり立つことが求められています。そんな文化のるつぼであるこの地が浮き彫りにするのは、それぞれの登場人物の不安定さや曖昧模糊たる人生観。その対比を洗練された言葉や行間で描いているのが本作です。
お見事、と拍手を送りたくなること間違いなしです。キラリと光る横光利一の才能に触れてみたい全ての人にお勧めしたい一冊です。ぜひ一読してみてください。