秀吉の名軍師であった黒田官兵衛。欲の少ない誠実な男であり、有名な逸話も多く残っています。そんな黒田官兵衛の生きざま、実像、考え方について深く知ることができる本をご紹介します。

1:幽閉時代にできた頭にできものに悩んだ
官兵衛の頭には醜いできものがあったと伝えられています。このできものは官兵衛が有岡城に幽閉されていた時に患ったものとされており、他にも幽閉生活によって左足の関節を痛めてしまうなど、身体に大きな障害を残すことになっ た出来事でした。
2:高麗人参の栽培に没頭した
日本ではじめて高麗人参を栽培したのは官兵衛だと言われています。隠居後、高麗人参の栽培に没頭したという記録が残っておりますが、どうやら人参の種子を発芽させるには至らなかったそうです。祖父重隆は目薬の販売で生計を立てていたこともあり、薬草の栽培なども行なっていたようなので、その影響を受けていたのではないかとも言 われています。
3:官兵衛は倹約家だった
倹約家としてのエピソードが数多く残されています。 貧しい家臣が鯛を立派な白木の箱に入れて献上した際、 「鯛は嬉しく頂戴するが、その立派な箱は誰かに売って、武具を整えよ」と命じたこと や、 不要になった物を家臣に売り下げて蓄財に励んだことなどが知られています。
4:側室を持たない愛妻家
政略結婚の末、櫛橋光を正室に迎えましたが、側室を持たず光だけを愛したそ うです。光との間には長政と熊之助の二人の息子が生まれまています。長政が生まれた後、子ができない時期が続きましたが、それでも側室を取ろうとはしませんでした。
5:辞世の句は「おもひをく 言の葉なくて つゐに行く 道はまよはじ なるにまかせて」
「もはや思い残す言葉もなく、あの世へ行くことになりました。今は迷うことなく、なりゆきに任せて旅立とう」という、読んでいてとても気持ちのよい内容となっています。
6:名言「人に媚びず、富貴を望まず」
官兵衛の遺訓とされる名言です。 私は人に媚びへつらうことはしない、富や権力も求めはしない、 という意味で、彼の誇りの高さをうかがうことができます。
7:実はキリスト教信者だった
官兵衛が38歳の頃、キリスト教の洗礼を受けました。高山右近に勧められると教会に通い、ドンシメオンという洗礼名を授かります。ただし1587年に秀吉がバテレン追放令を公布するとキリスト教は邪教として排斥されますが、官兵衛は令に従って棄教したことから、それほど熱心な教徒ではなかったと言わ れています。
8:実は風流人だった
母の影響を受け、幼い頃から源氏物語などの文学に触れていたと言われています。和歌や連歌などを好んで詠み、京都の公家階級(五摂家や堂上家が知られる)と親交深めたそうです。
9:個性的な形の兜を被った
銀白檀塗合子形兜と言い、お碗をひっくり返したような形状が特徴です。 「如水の赤合子」とも呼ばれたこの兜を戦場で常に着用していたそうですが、義父である櫛橋伊定から婚約の祝いとして贈られたものと言われています。
10:官兵衛は出家して「如水」に
朝鮮出兵をきっかけにして秀吉の怒りをかってしまった官兵衛は、 出家し「如水円清」と名乗るようになります。水のようにその心が澄んでいる、ということを表しているようです。
- 著者
- 司馬 遼太郎
- 出版日
- 2004-01-16
- 著者
- 吉川 英治
- 出版日
- 2013-07-25
- 著者
- 葉室 麟
- 出版日
- 2012-05-15
- 著者
- 渡邊 大門
- 出版日
- 2013-09-18
- 著者
- 安部 龍太郎
- 出版日
- 2013-11-20
黒田官兵衛は立派な軍師というイメージが強く、実際はどんな人物だったのかということは分かりにくいかもしれません。大河ドラマに取り上げられたことで興味がでてきた人も多いでしょう。この記事が様々な角度から彼について考えるきっかけになると幸いです。