井伊直弼(なおすけ)については、安政の大獄を行った幕末の権力者というイメージが強いですが、実は、茶の湯に精通し一期一会という言葉を生んでいたことは、あまり知られていません。暴君か。名君か。桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の生涯に迫ります。

1:若いころのあだ名は「チャカポン」
井伊直弼は藩主井伊直中の14男として生まれました。17歳から15年間、藩の後継ぎになることが出来ず、兄に庇護されながら生活する「部屋住み」として過ごしています。 与えられた北の屋敷を「埋木舎」と名付け、その頃に打ち込んだ茶道・和歌・鼓に才能を発揮し、風流に生きる姿から「チャカポン」とあだ名されました。
2:後に激しく争うことになる徳川斉昭にも贈りものをしたことがある
彦根藩では牛肉の味噌漬けを将軍家や諸大名への贈り物とする習慣があり、井伊直弼も徳川斉昭などに送っており、徳川斉昭から井伊直弼に当てた感謝を記した手紙が残っています。後に直弼が牛の殺生を禁止したことにより贈呈しなくなったときには、度々水戸藩から彦根藩に催促の手紙が送られました。
3:井伊直弼は日米修好通商条約の調印に際し勅許を待っていた
大老となった彼は、駐日総領事のハリスとの交渉に井上清直と岩瀬忠震を当たらせました。その際「勅許が下りるまで調印を引き延ばす」ように指示を出しています。
ただ、やむを得ない場合に限り調印を許可する旨の言質も与えていました。 交渉の場に臨み、幕府から言質と臨時裁量権を与えられていた井上・岩瀬両名は「ハリスの説く英仏恐怖論と、アメリカの対日友好の献策に逡巡する時間はない」と朝廷からの勅許を待たず直ちに調印したことを記者会見で述べています。井伊は大老として調印を追認する形となり、不快感を示しました。
4:井伊直弼は6人目の井伊家出身の大老
徳川幕府の大老職には過去、酒井家が4人、土井・保科・堀田・柳沢家が1人勤めていました。彦根藩主の井伊家からは6人目の就任であり、井伊直弼の出身母体である彦根藩井伊家は、大老の就任回数が他家に比べて非常に多い名家でもあります。
5:別れた女性にラブレターを送っていた
直弼には若いころ交際したものの藩に反対されて別れた「村上たか」という女性がいました。直弼が部屋住みであった1842年頃に、村山たかに宛てて書かれた手紙が最近発見されました。 内容はたかのためにお金を工面して送りたいが「当節は甚工面悪しく」すぐに送れないことや、会えないつらさ、毎日つづく頭痛についてなどが書かれています。 彼女は、その後安政の大獄の時に井伊直弼のスパイとして活動しました。
6:井伊直弼の遺骨が墓に埋葬されていない
通説では、暗殺後に直弼の首は遠藤家に預けられ、井伊家家臣が引き取り江戸藩邸で首と胴体が縫い合わせられた後、現在の東京都世田谷区にある豪徳寺に埋葬された、とされていました。 平成21年の墓石改修工事のときにレーダー調査などを行った結果、地下3メートル以内に石室を発見することが出来ず、現在も所在は不明のままです。
7:直弼暗殺後、井伊家に「病気静養」扱いで将軍から見舞いが訪れた
藩主の暗殺によりお家断絶の危機にあった井伊家ですが、幕府から「急病」として取り扱う方針が出されます。その方針を取り繕う関係から何度か将軍からの見舞いが訪れましたが、暗殺現場を目撃した人も多く、当時の状況などの噂なども広まりました。 そのため「人参で首を継げとの御使」(病気回復のため、滋養に良い朝鮮人参を送ったから)等、この時の対応を揶揄するような川柳がたくさん作られました。
8:井伊直弼の死因は銃撃で致命傷を負ったから
定説では、銃の合図で襲撃が始まり、直弼はかごの外から突き刺され、引きずり出されて首を落とされたとあります。 しかし直弼の遺骸を診た彦根藩医は「太腿から腰にかけて銃弾が抜けたあとがあった」と伝えており、直弼の死因は銃弾による傷が致命傷になった可能性が高いとされています。
物語は、直弼が彦根藩で部屋住みとしてくすぶっている頃、直弼の屋敷、埋木舎へ長野主馬なる人物が訪ねていくところから始まり、長野は向かう途中で、妖艶な、たか女という三味線の師匠と出会っていきます。後に間者として直弼の力になる、たか女と、学問の師となる長野。3人の出会いから、それぞれの最期までを描いた作品です。
- 著者
- 舟橋 聖一
- 出版日
井伊直弼が開国論に反対する敵対勢力を厳しく断罪した安政の大獄。吉田松陰、橋本左内などの才能ある人材が失われていった背景と、その結果、討幕派、攘夷派に与えた影響は、明治維新に向かうエネルギーとなり、時代の流れを早めたことになった方程式的な解釈は、納得させられる筋道です。
- 著者
- 井沢 元彦
- 出版日
- 2016-04-06
「此書は、茶湯一会之始終、主客の心得を委敷あらはす也、故に題号を一会集といふ、猶、一会ニ深き主意あり、抑、茶湯の交会は、一期一会といひ て、たとへハ幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたゝひかへらさる事を思へハ、実に我一世一度の会也、去るニより、主人ハ万事ニ心を配り、聊も麁末 のなきよう深切実意を尽くし、客ニも此会ニまた逢ひかたき事を弁へ、亭主の趣向、何壱つもおろかならぬを感心し、実意を以て交るへき也、是を一期一会とい ふ・・・」(『茶湯一会集・閑夜茶話』より引用)
- 著者
- 井伊 直弼
- 出版日
- 2010-10-28
「ペリー艦隊の乗組員が大挙上陸して、住民と接触していた。勝手に歩き回るし、自由に買物もするので、しょっちゅうトラブルが発生する。物の値段が高い安いで揉める。規定を無視して外泊する。酔っぱらいがごねる。盗難が発生する。」(『井伊直弼の首―幕末バトル・ロワイヤル』より引用)
- 著者
- 野口 武彦
- 出版日
物語の主人公、関鉄之介を通じて、凶行の主役になる水戸藩の思想や、井伊直弼暗殺の準備などが克明に描かれていて、単純なテロリズムではなかったことが伺える作品です。本作では桜田門外の変が起きる経緯や時代背景、水戸藩特有の水戸学と尊王攘夷の思想などから、事変前の模写に重きをおいて書かれていて、これほど詳細に動機づけた作品は珍しく、後の桜田門外の変を題材にした作品の資料ともされています。
- 著者
- 吉村 昭
- 出版日
- 1995-03-29
歴史上その評価が分かれる井伊直弼ですが、稀代の政治家であり、文化人でもあった幕末の傑物であることは間違いありません。様々な顔を見せる井伊直弼を知ることで、動乱の幕末の歴史を知ることにもつながるはずです。