新選組を作り上げ、幕末を駆け抜けた男・土方歳三。鬼の副長としての姿以外にもさまざまな側面を持っています。有名どころからちょっと専門的な本まで集めましたので、ぜひ歳三の魅力を新発見してください。

1:うまくいかない丁稚奉公
1897年に出版された『両雄士伝補遺』には、1845年に歳三が11歳だったとき、江戸へ奉公に出たと記されています。
当時の子供は、江戸への丁稚奉公はステータスとされ、歳三も現松坂屋百貨店である、上野の松坂屋いとう呉服店へ奉公に出ました。しかし、番頭と揉めてその日の夜には日野の実家へ帰ってしまったそうです。
二度目の奉公は17歳で、江戸大伝馬町に向かいました。しかし、奉公先の女中と関係をもってしまい、主家から暇を出されて、日野に戻ってしまいます。このときはさすがに、兄に叱責を受けたそうです。
2:意外な特技があった
短期間ではあるが、江戸での奉公のおかげで、ハサミや物差しを使うのが得意だったそうです。
また、記憶力もよく、親戚の葬式を手伝ったとき、下足番をして、弔問客が帰る際に取り違えずに履物を出したり、壇払いのときも誰がどれだけ飲食をしたかを覚えていたりしたと伝わっています。
3:俳句を嗜んでいた
浪士組の一員として京都へ出立する際、生家に41句の俳句を抜き出した『豊玉発句集』を残していきました。
上洛後、新選組副長となってからは、特に俳句を嗜むことはなくなり、記録に残ることはありませんでした。
4:剣術修行の傍ら、行商をおこなっていた
近藤勇の天然理心流の道場で剣術修行をおこなう傍ら、石田散薬の行商もおこなっていました。朱塗りのつづら箱に剣術道具をぶら下げて、あちこちの道場で試合をしたそうです。
このとき、彼は1人で歩いていたわけではなく、「酒屋のじいさん」と呼ばれていたおじいさんと一緒に行商を行っていたそうです。
5:役者のような顔立ちだった
軍服姿の写真が残っているため、顔は知っているという方も多いでしょう。新選組副長として京都に滞在していたときも、役者のような顔立ちだったとさまざまな文献に残されています。身長は五尺五寸(およそ168cm)で、当時の男性の平均身長は157cmくらいだったので大きいほうでした。なで肩で少し猫背気味だったそうです。
1:歳三が好きだったものとは?
歳三はとにかく熱い風呂が好きで、一緒に入った甥っ子が熱くて逃げだすほどだったそうです。
また、好物は小野路村の親戚、橋本家のおばあさんが漬けていたたくあんでした。これは好きすぎて、樽で担いで持ち帰ったほどだったそうです。
2:いつから軍服を着用したのか?
新選組の初期の隊服はもちろん着物でした。そして、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が惨敗したときも、新選組は羽織、袴の和服姿でした。これに歳三は「これからは銃でなければだめだ」と感じ、江戸へ退却するとともに、銃を持ち、フランス式の洋装に変更しました。
3:歳三の洋装写真はいつ撮影されたのか?
歳三の写真は、北海道についてから撮られたものが2種類ほど残っています。どちらも同じ撮影場所、椅子、服装です。
同じ椅子を使用し、他にも何人かが撮影されている関係から、蝦夷地(北海道)に入った初期、箱館五稜郭に榎本武揚が幹部を集め、総裁以下、陸軍奉行・海軍奉行などを投票が行われて間もなくのころ、1868年12月ごろと推定されます。
- 著者
- 司馬 遼太郎
- 出版日
特に興味深いのは、役職・序列について言及してあるところです。歳三の役職は副長で、これは局長につぐ2番目に偉い役職です。その下にもきっちりと役職が降られており、これが江戸幕府の番方にまで影響していると書かれています。組織表や相関図も多く、出世のための人間関係なども面白く読み進められます。
- 著者
- 相川 司
- 出版日
- 2013-02-23
- 著者
- 菊地 明
- 出版日
- 2011-10-06
ムックというと軽い感じがしますが、意外にも細かい文字がぎっしり。新選組結成150周年を記念して増補新版として出版されており、発売までの土方歳三研究と彼の兵法が増補されています。
- 著者
- 出版日
- 2013-05-21
- 著者
- ["菊地 明", "伊東 成郎", "結喜 しはや"]
- 出版日
- 2012-08-07
知れば知るほど、格好いいと思わせられる土方歳三。イケメンで若いころは女性関係で問題を起こしていたことも知られています。しかしそんなところも魅力の一部。芯の通った歳三の姿は、現代の私たちも見習いたいものですね。