栃木県日光市にある日光東照宮。徳川家康を祀った墓所として有名です。死後、神仏化されるほど敬われた彼は、誰もが聞いたことがある戦国武将ですが知られざる顔もあったのです。今回は、彼の新たな顔を知ることができる本を紹介します。

1.小さい時から洞察力に優れていた
まだ彼が10歳の頃、河原で子供たちの石合戦を見物していたとき、150人と300人の対決であったその戦いを見て、彼は「人数が少ない方が勝つ。」と予想しました。
それを聞いた従者は「そんなはずはありません。」といい、2人は言い争いになりましたが、合戦が始まると150人の軍勢の方に新手の味方が多数加わり、そちらの軍勢が勝利します。そして、「それみたことか。」と従者の頭を叩きながら喜んだと伝わっています。
2.武勇に優れていた
彼は1573年の三方ヶ原の戦いにおいて武田信玄に敗北を喫し、退却する途中で道を塞いだ武田軍の兵士を騎射で倒して突破したり、浜松城にいた頃には約100m先の櫓の上にいた鶴を鉄砲で打ち落としたり、鳶を連続で打ち落としたり、家臣が打っても当たらなかった的の中央に弾を当てたという記録が残っています。
3.常に用心深かった
彼は大坪流という馬術の流派を学んでおり、馬の扱いにも長けていましたが、こんな逸話が残っています。
小田原征伐に参陣した家康が細い橋を渡る際、馬を使って渡るのかと周りにいる者たちは注目しましたが、騎乗していた馬を兵士に預けると、自らは家臣に背負われて渡りました。豊臣方の兵はそれを見て笑いますが、諸将は「馬術に長けている者は危険を冒さない。あれこそ馬術の極意だ。」と感心したといいます。
4.倹約家だった
質素な生活を送っており、麦飯をよく食べていましたが、ある時家臣が白米の上に麦を乗せたところ、農民ばかりに苦労させて自分だけ豪華なものを食べるわけにはいかない、と叱責したといいます。
またある時は厩舎が壊れてしまったことがありましたが、壊れていた方が丈夫な馬が育ちやすいといって厩舎をそのままにしていたそうです。
5.医学にも長けていた
家康は自ら薬を調合して服用するほど、医学に関心が高く、当時の名医を呼んで研究に勤しんでおり、その知識も並大抵のものではなかったと伝わっています。彼は戦に臨む際に自らが調剤した「御陣薬」を持参しており、この薬を重臣や家来にも服用させています。
6.子だくさんだった
幕府を開いて将軍に就任した頃、彼はすでに還暦をむかえていましたが、奥方の数は20人を超えており、その生涯のなかで残した子宝は11男5女の計16人でした。かなりの子だくさんだったといえます。
7.割と短期だった
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」の歌のように我慢強い性格だと思われがちですが、実際は短期だったようです。
戦の最中にいらいらすると爪を噛む癖があり、なにか不満があると馬の鞍を殴って八つ当たりをしていたという記録が残っています。
「よわいものは苦労に負けてしまう。すぐに,めそめそないたり,かなしんで人をうらんだりして,じぶんからつまらない人間になってしまう。はだをさすようなつめたい冬,畑のむぎはふまれればふまれるほど,春になるとのびるではないか。竹千代(家康の幼名)が,そのむぎであった」(『徳川家康―江戸幕府をひらく』より引用)
- 著者
- 松本 清張
- 出版日
- 1982-09-30
家康は天下人豊臣秀吉の命により先祖代々の地を召し上げられ関東の地に赴きます。表向き北条討伐の褒美としてですが、その実、有力大名の徳川家を遠ざけ弱体化させる意味合いで、敵対勢力も今尚残る未開の地へ追いやられたのです。当然猛反対する家臣たちを抑え、「関東には未来がある」と当時無名の小城「江戸城」に入ります。
- 著者
- 門井慶喜
- 出版日
- 2016-02-09
影武者世良田二郎三郎は10年以上も家康の傍でその軍略を目のあたりにして、容姿はもちろん考え方まで主君と同等にまでなっていました。関ヶ原の戦いの最中に家康は討たれ、その死を隠すために影武者なれど本物として振る舞います。大戦後も徳川幕府を盤石にするため家康になり代わり政務をこなす運命となるのです。
- 著者
- 隆 慶一郎
- 出版日
- 1993-08-31
上中下巻の三部からなり、上巻では石田三成が豊臣秀吉に見いだされ文官として出世していき、秀吉亡き後の豊臣を如何に守ろうとしたか。対して徳川家康の天下を奪おうとする策謀の数々が描かれます。中巻は関が原に挑む三成、家康のほか、どちらに味方するかを苦悩する諸将の思惑が興味深く書かれ、下巻の関ヶ原の戦いの顛末にと突き進んでいきます。
- 著者
- 司馬 遼太郎
- 出版日
- 1974-06-24
徳川家康の一生を生誕から最後まで書かれていますが、その時代毎に関わる登場人物も実に魅力的に書かれています。織田信長、豊臣秀吉、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗など様々な武将たちの検証資料にも使われているほどです。
- 著者
- 山岡 荘八
- 出版日
- 1987-10-01
徳川家康を題材にした作品は限りなく存在します。その作者により表現の違いや主観などで様々な顔を見せます。戦国時代を終わらせ平和な時代を築き上げた偉人の本当の顔は未だ謎に包まれたままです。400年以上経った今も悟りきれない彼の英知にふれてみてはいかがでしょう。