大森荘蔵の哲学
大森荘蔵は、1921年に岡山県に生まれ、長じて東京帝国大学理学部物理学科に入学します。卒業後、海軍技術中尉として従軍。復員後、同大学の文学部哲学科に再入学して哲学を志します。『青色本』の翻訳に当たるなど、ウィトゲンシュタインの哲学を受容しつつ、分析哲学、科学哲学の研究、時間論や科学論についての考察を深めていきました。
今回は彼の「重ね描き」などの思想をもとに、私たちと科学の世界をつなぐ大森の思索を紹介していきます。
『言語・知覚・世界』の科学観
言わずもがな、人類の発展の裏には常に科学の成長がありました。神の怒りであった雷は電荷分離に。喜怒哀楽は脳の伝達物質に。もはや世界はすべて物理的、数学的に記述可能であるようにすら思えます。しかし、大森はこの科学的描写と我々の見えている世界の分断を指摘します。
- 著者
- 大森 荘蔵
- 出版日
この著作に収録されている論文「知覚風景と科学的世界像」では、知覚風景と科学的描写という二つの世界の描き方を考察します。
たとえば、目の前に見えているペンの先が銀色に光っているのを見るとき、視神経から脳にかけてある反応が見られることを科学は解明しますが、特定の脳波の状態が「銀色に光っているのを見ている」ことだと説明はしません。
脳の記述は、この部分が活発に反応している、伝達物質が出ているなど、あくまでも脳に何が起こっているのかを説明するだけであり、なぜその脳波が出ていたら「銀色を見ている」とわかるのかは解明できないのです。
このように、知覚風景と科学的描写は独立のように思えてしまいますが、大森は実は科学的描写は知覚風景を前提としているからこそ可能になるといいます。科学は見えている対象を出発点として研究される以上、知覚風景も科学的描写も実は同じものを見ているのであり、科学的描写は知覚風景をより「精(くわ)しく」「重ねて描いた」描写であると主張します。
彼は、この「重ね描き」という考えを、終始一貫して主張していくようになります。
『物と心』―「立ち現れ一元論」の登場
中期の著作であり、キータームである「立ち現れ一元論」と呼ばれる大森独自の一元論が提示された論文集です。
本著に収録されている論文「科学の罠」では、「見えているもの(知覚されているもの)」と「知覚を生じさせるところのもの自体」が存在するといういわゆる「二元論」の立場を否定します。
- 著者
- 大森 荘蔵
- 出版日
- 2015-01-07
たとえば大森は、科学描写、つまり、特定の原子の集まりである、一定の位置を占めている物質としての木箱が存在し、それが色や形、温かさなど知覚を心に生じさせるという考えは「科学の罠」であると断言します。
そこで彼は私たちの知覚している世界と、科学が描写する世界を切り分けるのでなく、同一のものであり、「抜き描き」として二つの描写の仕方があるだけなのだと主張します。ここに、『言語・知覚・世界』でみた「重ね描き」の考えを読み取ることができます。
私たちが見聞きするところの知覚の世界と、それを生じさせる知覚とは独立のものが存在すると考えるのではなく、いま、自分に見えて、感じている―そしてそれは科学的描写で細密に描くことができる―ものだけが存在するという「立ち現れ一元論」を展開していくのです。