詩とマンガの「あいだ」を訪ねる
緻密に編まれた文章を浴びるように読むのもいい。けれど、ときには絵と言葉のあいだで意識を漂わせていたい。冬の澄んだ光の中で、私はどんな「あいだ」を訪ねにいこう。
カシワイさんの作品集『107号室通信』(リイド社)※を開くと、当たり前に自分の手元にあったものが、この世界の大元に繋がっているように感じられる。アサガオの蔦がからまるジャングルジム、過去と繋がる公衆電話……。現実界とはずれた少しだけ異質な存在が慕わしい。この本から顔を上げたとき、私は「私」を見守る宇宙の目に気づくのではないか――。
私はいわゆる「漫画」を日常的に読む方ではないが、気づけば、そんな「あいだ」の豊かさを見せてくれる〈詩のような漫画〉が手元に集まっていた。
※同作については下記URLをご覧ください。
http://www.to-ti.in/product/?id=26
少女が己の「解放区」を手にする瞬間とは
- 著者
- 大島 弓子
- 出版日
大島弓子の作品に触れるたび、忘れ去ったはずの感覚や蓋をしていた記憶が思い出され、胸が疼きだす。『バナナブレッドのプティング』(白泉社:以下同)のヒロインのかたくなさ、『夏のおわりのト短調』で描かれた仮面家庭の崩壊、『夏の夜の獏』(朝日ソノラマ)の老成した少年のまなざし。それらがある時期の自分を通り過ぎていったことのように思えて愛おしくなる。
少女の目を持ったとき、世界はひどく理不尽で、美しく歪んで見える。けれど、そのことに絶望するわけでもなく、終わりの予兆を抱きながら、少女たちは痛みを見据える。そこに、かすかな「希望」を見出そうとでもするように。
『ロストハウス』は、そうした少女の目で描かれる「解放」の物語だ。
大学生の実田エリには忘れられない人がいる。幼い頃に住んでいたアパートの隣人である鹿森さんは、エリが中で遊べるように部屋の鍵をかけずに出かけていく。自分の空間を明け渡し、幼いエリに「解放区」を与えてくれたのだ。しかし、彼は恋人の死をきっかけにアパートを去ってしまう。
〈わたしには なんの趣味も特技も人生の目的もない/ただ 小さな解放区さえあれば/あとは ロボットみたいに生きていけると 思っていた〉。エリは無感動な大学生活を送っていたが、梶原という青年に出会い、彼に新たな「解放区」を求める。梶原に心を開き始めたある日、彼から鹿森さんの思わぬ顛末を聞く。
「ああ
彼はついに 全世界を 部屋にして
そして そのドアを 開け放ったのだ」――。
孤独に閉じこもっていた少女は、鹿島さんの記憶を胸に、新しい一歩を踏み出していく。この世界そのものを自らの「解放区」として開け放つために。
詩の気配がページに凝縮された一冊
よるもや通信集
2015年02月13日
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nakaban
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野分編集室
※書影画像提供:筒井大介様(野分編集室)
とある絵本ギャラリーで購入した一冊。『よるのむこう』(白泉社)などの絵本で知られるイラストレーター・nakabanによる初の漫画作品集だ。
最初の作品「ボッロメオ通信」を一読して、「漫画の形は取っているけれど、これは詩なのだ」と確信した。実際、各コマには〈鉛筆を置けば〉〈まどろむ灰色〉〈鮮やかな余白の その遠くには〉〈本当では無い ようで本当の〉〈もうひとつの二月〉と断片的な言葉が降りそそぐ。〈硝子のボタンが 月明かりに光って いただけのことです〉とあるように、中原中也の詩「月夜の浜辺」を連想する言葉もある。人物は一切登場せず、語り手が目にする部屋の風景や、海辺の光景がシンプルに切り取られていく。
最後の作品「冬の夜明け」は、人物が雪にかき消された後、〈それから ぼんやりと 白い朝がやって来て〉〈昨日のぼくは 消えてしまいました〉〈夢みるひとが 夢の中に消えてしまうように〉と、やはり語り手の位置が見えなくなる。
タイトルのとおり、夜の靄のなかを漂う作品集。けれど、この没入感は何かに似ている。幼い頃、顕微鏡を覗いたときの、不思議な胸の高鳴り。詩を書くときの目も、この顕微鏡に近いように思う。目に見えないミクロの景色に、この世界のすべてが詰まっている。